写真_2015-05-10_21_44_37

「比喩は読者への親切心」「理不尽なことを言われたらウンコ投げ競争を思い出そう」村上春樹さんの小説の書き方に学ぶ。

村上春樹さんへのQAをまとめた本を読んだのでメモ。

「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?

一日何枚くらい原稿を書いている?(疑問12より)

村上春樹:僕の場合、依頼を受けて小説を書くということがまずなくて「書きたい」と思った時にはじめて書きはじめます。

だから逆に言えば書きたくないときには小説は書かないということです。「嫌だな、書きたくないな」と思いながら小説を書いたことは一度もありません。

でも、それにもかかわらず、いくら好きでやっているとはいえ、ゼロからなにかを作っていくというのは、けっこうきついものです。

そうか、書きたくない時は書かなくてもいいのか、と思った。気がのらない時に文章をかいてもしょうがないということなのだろう。特に小説は長いし。

小説や翻訳の修業はどのようにしたの?(疑問21より)

村上春樹:文章の修業というようなものは、僕はとくにしておりません。正直にいって、小説を書こうという強い思いもなかったのです。ただ何かのきっかけでふっと書いちゃったというか・・・。

しかし今にして思えば、小説家になるための僕にとっていちばん役に立ったことは、とにかく本をたくさんむさぼり読んだことと、恋を(まあほどほどに)したことでした。

文章の修業はしなくても、トップレベルの小説家になれるということ。起業とかと一緒で、いちいち学校に通ったり、資格とったりするよりは、もうやってしまったほうが早いんだろうな、と思った。

鋭い比喩はどのように思いつくの?(疑問21より)

村上春樹:比喩というのは書いているうちに自然にすらすら出てきます。あんまり「さあ比喩を書くぞ」とかまえちゃうと駄目みたいですね。

僕は自分でとりたて比喩がうまいと思ったことはありません。「いろんなものごとを、すこしでもわかりやすく、少しでも実感的に書こう」という、読む人に対する親切心が、要するに比喩というかたちになってでてくるものじゃないかと僕は思います。

「相手をうならせてやろう、感心させてやろう」という本末転倒な同期でやると、なかなか良いものは浮かんでこないような気がします。

「比喩は親切心」というのが、とてもいい表現。

理不尽なことを言われたらどうする?(疑問67より)

村上春樹:「それはちょっとないだろうよ」というような理不尽なことを他人に言われる機会は、僕にも少なからずあります。

昔スティーヴン・キングが「ウンコ投げ競争の優勝者は、手が一番汚れていない人間だ」と言いました。

つまり、どれだけ他人にウンコを投げて命中させるかが大事なのではなく、そんな無意味なことで手を汚さないのが人間の品格なんだ、それよりは自分がやるべきことをちゃんとやろうということです。

あなたも頭にくることがあったら、このキングさんの言葉を思い浮かべられるといいと思います。

文脈を知らないのでキングさんがなんでウンコ投げの話したのかわからないけど「ただやるべきことをやればいい」というのはそうだなと思った。

村上作品を読むとものが食べたくなるのはなぜ?(疑問115より)

村上春樹:僕はそういうフィジカルな感想って大好きです。

ただ漠然と「読んでいて乾燥した」とかいうよりも、「読んでいて腹が減った」とか「ビールが飲みたくなった」とか「意味もなく旅行に出たくなった」とかいう方が、なんかリアルですよね。

小説にはそういう実行力というものも必要なのです。もちろん感動するのも大事なんだけど、感動というのは細かい事実の集積の上にあるのではないかと。

最近ちょうど、良いコンテンツというのは生体に反応がでることではないか、と考えていた。「おもしろい、やくにたった、よかった」よりも「泣いた、手が震えた、気分がよくなって募金した」みたいな、生体反応もしくはアクションに影響することが、よいコンテンツなのではないか。映画やマンガはあるけどネットメディアの記事でそうなることは稀だ。

村上先生は自分を「平凡な存在」だと思いますか?(疑問156より)

村上春樹:僕は自分のことを「限定された特殊な能力を少しはもっている平凡な人間である」と認識しています。

僕は本当に「個性的」な人を何人か知っていますが、「個性的」であるというのは病と同じで、本人にとってはけっこうきついだろうなと思います。

生徒によい読書感想文をかいてもらうには?(疑問226より)

村上春樹:はっきり申し上げまして、全国の新聞雑誌などに掲載されているいわゆる「書評」の多くの部分は、あなたの生徒さんたちが書いているものと、内容的にはほとんど変わりません。

ですから、そのことで子どもたちを責めるのはちょっとかわいそうだなという気はします。あ、まずいかなこんなこと書くと・・・まあいいや。

先生としてあなたにできることはいくつかあります。まずひとつはただ漠然と「本を読んで感想文を書きなさい」というのではなく、テーマやポイントをもう少し細かく限定してあげることです。

たとえば「誰でもいいから一つの登場人物を選んで、その人について思ったことを書きなさい」とかそういうことですね。とにかく子どもたちに具体的に考えさせ、想像させるのです。

でもテーマを設定したり、ポイントをしぼりこんだりするためには、あなたも一生懸命本を読んで考えなくてはなりません。そういうことが大事なのではないかと、僕は(偉そうに)思うのですが。

これは編集からライターに記事を外注するとき、部下に業務をやってもらうとき、ウェブサイトをデザイナーにつくってもらうときなど、いろんなことに言えそうで、一番メモしたくなった回答。

翻訳の推敲はどのくらいしますか?(疑問282より)

村上春樹:僕は最初にざっと読んで感じをつかみ、一気にやっちまいます。細かいところは、やりながら調整していきます。

最初にあれこれ考えるよりは、やりながら考えたほうがうまくいく場合が多いからです。一番大事なのは文章の流れです。

推敲は僕の場合①訳文を読みながら、英語のテキストをチェックしていく。②もう一度、今度は英語テキストは閉じて、訳文を日本語の作品として読み、手を入れる。③英語のテキストをメインとして読みながら、訳文をチェックしていく。という段階を踏むことが多いです。

翻訳は1に我慢、2に勢いです。がんばってくださいね。

いつか翻訳するときのためにメモ。これを読む限りは、案外ノリでやっちゃってもいいんだろうな。

2000年著の本なのでけっこう古いです。kindleはありませんでした。

「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!