村上春樹が教える文章の書き方「コピーライターの命は文章よりものの見方。文章のことは一度忘れちゃっていい」
村上春樹さんへのQAをまとめた本がおもしろかったのでメモ。
「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
「自分自身の文章」を書くにはどうしたら良いか?(質問82より)
村上春樹:自分自身の文章を身につけるというのは、とてもむずかしいことです。しっかりと生きて、たくさん本を読んで、文章を書く訓練をせっせと続けて・・・それでも、なおかつ足りないという場合が数多くあります。
しかし、変に聞こえるかもしれませんが、自分自身の文章を身につけなくても、小説は書けます。そのほうがむしろ簡単です。
でも自分自身の文章を身につけるのはほんとうにむずかしいです。僕も模索につぐ模索を続け、今でも模索しています。ほんとに。
僕の考える良い文章とは「ほかの誰とも違うけれど、誰にでもわかる」文章です。言うは易く、ですが。がんばってください。
関係ないけど、「ほかの誰とも違うけれど、誰にでもわかる」文章というのは、日本語だからこそ出てくる言葉なのかもしれない。
英語は「アルファベット26文字」しかないけれど、日本語の場合「ひらがな50文字+カタカナ+漢字」の掛けあわせだから。
「きょうは、いい天気だなあ」と「今日は良い天気だ」でさえ、受け取るニュアンスが微妙にかわるし、日本語って繊細な言語なのではと思った。
ムダのない文章を書くコツはなんですか?(質問118より)
村上春樹:コピーライターの命は文章よりはむしろ「ものの見方」だと僕は思います。ものの見方がしっかりすれば、文章は自然についてきます。文章のことは一度忘れちゃったほうがいいのではないでしょうか。
一人の人間の文体というのは、生き方そのものです。あなたが迷っていれば、文体も迷います。まず自分自身を正確に把握することが必要です。
文章を鍛えるには「ものの見方」のほうが大事なんだという話。有名なキャッチコピーをググってながめてみたら、完全にそうだなと思いました。
小説のタイトルのつけ方はどうしているの?(質問204より)
村上春樹:最初に素敵なタイトルを思いついて、それにあわせて作品を書くと、わりとうまくいきます。僕の場合「スプートニクの恋人」はその一例です。
「1973年のピンボール」「羊をめぐる大冒険」(などなど中略)どれもタイトルが最初にきています。それからタイトルにあわせてストーリーを考えるわけです。やってみると面白いですよ。
これは逆かと思っていたので意外だった。おもしろい。
上手な日記の書き方を教えて下さい。(質問226より)
村上春樹:僕も気が向いた時期には簡単な日記をつけていますが、そういうところに書いた僕の文章なんてほんとにひどいものです。
文章というのは時間をかけて、何度も何度も書き直してうまくなるものです。さらさらと書いてそれが名文というようなことは、天才のわざです。
「アンネの日記」のアンネ・フランクは、一度書いた日記をあとからまとめて全部書き直したそうです。
もしもっとまともな文章にしたければ、あなたもあとからまとめて書き直してみるといいと思います。良い文章を書く練習になると思います。
ということは、仮に、村上春樹さんにどこかで会って、即興で文章をかいてもらったとしても、割と普通の文章が出来上がるんだろうか。
執筆中の気持ちは?(台湾からの質問7より)
村上春樹:長編小説を書くのは、フルマラソンに似ているかもしれません。走っているときは、そりゃ苦しいです。「何のためにこんな苦しい思いをしなくちゃいけないんだ」とつくづく思います。
でも42キロをいったん走り終えると「ああ、やっぱ走ってよかったな」と思います。そしてとても幸福な気持ちになれる。
そういう幸福感って、死ぬほど苦しい思いをしないと、出てこないものかもしれないですね。平凡な意見ですが、わりに正直そう思います。
「楽しんで書いているんだろう」と思っていたら違った。長編小説を書くのは、苦しいもんなのか。例えば、漫画家とかはどうなんだろうか?
村上さんは努力家ですか?(台湾からの質問10より)
村上春樹:ゼロからかたちあるものを生み出すためには、大きな力が必要とされます。想像力と、集中力と、持続力がなくては、何かを創り出し続けることは不可能です。
もちろん天才であれば、いとも簡単にとくに努力なんてする必要もなく、ひょいひょい次から次へと小説がかけちゃうのかもしれませんが、僕は自慢じゃないけど、天才ではありませんので、どうしても努力と節制が必要になってきます。
しかしその結果としてできあがった作品は、ひょいひょいと簡単に書かれたような印象を、時として読者に与えるかもしれません。それはそれで、けっこう立派な達成じゃないかと、僕は思います。
ただ何気なく読んだ一文が、もしかしたら「3日かけて、10回以上書きなおした一文」である可能性もあると。
「海辺のカフカ」への自評をお願いします。(韓国からの質問19より)
村上春樹:僕はひとつの小説を書いているあいだは、そのことだけを集中して考えながら、生きています。
僕はカフカくんの目で世界を見て、カフカくんの心でそれを受け止めます。つまりその物語の中にすっぽりと入って、生きているわけです。
だから「海辺のカフカ」という作品は、すでに僕の一部になってしまっています。客観的にはなかなか評価できません。
小説って壮大な「ごっこ遊び」のような妄想という感じなんだろうか。人によってもつくりかたが違うのかもしれないけど。
小説執筆の秘訣・努力の仕方は?(韓国からの質問29より)
村上春樹:そんなに容易くできることではないですね。むずかしいことだと思います。僕がそのために具体的にやっているのは、まず生活規則を正しくすることと、健康であることです。
そこからすべてが始まります。小説を書くというのは、ほとんど肉体労働なのです。肉体をうまく動かしていくと、だんだん魂もうまく動くようになっていきます。
最初から魂をうまく動かそうと思っても、簡単にはいきません。すごく平凡な回答で申し訳ないのですが。
それを一番にあげてくるのか、という感想。アスリートとかスポーツ選手みたいな回答だと思った。
なお、この本は2006年くらいに出た本で、中古で1,000円くらい(Amazon)でした。書籍にはいろんなQAが330収録されています。
「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?