「オリジナルの企画しかやらない、コーナーをつくらない」「ガキ使」が25年間も続いた理由。
「ガキ使」や「踊るさんま御殿」大晦日の「笑ってはいけない」シリーズなどを手がけたテレビプロデューサー 菅 賢治さんの「笑う仕事術」という本を読んだのでメモ。
笑いは予期できない。
まったく予期せぬことが笑いにつながることは多い。こっちが笑わせようと仕掛けたものはだいたいダメ。
笑いのタイミングもみんな違う。僕らからみて「何がおもろいんだよ」というところで中高生が笑っていることも珍しくない。
これはけっこう意外だった。やってみないとわからないもの。
テレビのパブリックビューイング化
今の大学生やサラリーマンは大晦日に友達の家にあつまって「笑ってはいけない」を見ている。
酒を飲みながら「笑ってはいけない」を笑わないようにしながら半参加者として見ている。
テレビを軸にしてコミュニケーションをとっているということ。リアルでもそうだし、Twitterとかソーシャル上でもおなじようなことが起こっているとおもう。
ポルノはオープンになったら価値を失う。
アメリカの医学者の研究で「ポルノは隠せば隠すほど見たいと思うけど、全部オープンになったら誰も必死になってみなくなる」というものがある。
アメリカでは1960年代後半にポルノを解禁したとき、1年間くらいは一気に売上が伸びたが、次の年にはガクンと落ちた。みんな見飽きた。
この話がとてもおもしろかった。これはPTAとかに呼ばれて「いじめにつながるのでは?」「たべものを粗末にしていいのか?」なと言われることが多いという話。子どもは「見ちゃダメ」というものほど見たくなる。(詳しい文脈などは書籍参照)
オリジナルにこだわる
「ガキの使い」が25年も続いている大きな理由は、絶対にオリジナルということにこだわっているから。
他局でやっていた企画とわかったら、「じゃあこの企画はなしね」とボツにする。
コーナーを立てない
これも「ガキの使い」が続いた理由として、コーナーをつくらなかったというのもある。コーナーに頼ってしまったほうが楽だが、どんなコーナーも1~2年みると見飽きる。
どうしてゴールデンの番組の視聴率が下がるかというと、「来週もまた同じようなことやるんでしょ」と思われてしまうから。「今週見逃したら、来週は同じことやらないぞ」という番組だからこそ見てもらえる。
ぜんぶオリジナルの企画で、同じものは二度とやらない、というスタンスが、番組を25年も続けさせたという話。
苦労は視聴者に見せるべきではない
視聴者の評価は「おもしろいかおもしろくないか」だけ、そこには理屈もない。だから「これってやるの大変だっただろうな」と作り手の苦労が見えるのは嫌なこと。
「これだけ苦労して番組つくっています」というつくりかたはアマチュアの考え方。「ここまで努力したので認めて下さい」というのはプロの世界では通用しない。
自分が「おもしろい」と思ったものをつくるべき
ボクらテレビ屋が自分たちが面白いとおもっていないものを、世の中にアウトプットするほど失礼なことはない。自分らがいい、おもしろいと感じたものを世に出すべき。
視聴者に熱が伝わらないものは絶対にあたらない。熱は収録現場の一種のエネルギーであり、それは画面を通じて伝わるもの。録画でも生放送でもそう。
最初の1~2分が勝負である。
テレビをやってきてわかったのは最初の1~2分でどんな番組なのかわからなかったら絶対当たらない。
「この番組はこういう番組」という説明に5分以上かかるものは誰もみない。最初の30秒位で「なんかおもしろそう」と思ってみるもの。
スピルバーグの映画は最初におもしろいものを惜しみなく出す。そこからさらにおもしろくなっていくのもスピルバーグ映画のすごさ。
テレビもアプリやプロダクトと一緒で、ヒットするかは、出してみないとわからないんだなとおもいました。ウェブサービスならピボットなり修正すればいいんだけど、テレビの場合打ち切りになっちゃうのがつらいよね。